「もやもやする」ということについて

ここ1ヶ月間なかなか忙しく働いていた。この忙しさが世間一般のサラリーマンと比べてどうなのかはわからないけど、なかなか忙しく働くという経験がなかなか面白かったのでそんな話を書く。


先週くらいまではなかなかに充実した毎日を過ごしていた。あんまりまじめに働いたことがなかったので、「残業している俺カッケー!」とか、「まじめに働く俺TUEEE!」とかね。んで、まあ、あんまり自分の時間をつくれていなかったんだけど、忙しい時期だしってことでほとんど気にしていなかった。で、仕事に一区切りついた辺りで「あ、これってちょっとまずいな」と思った。


「あ、これってちょっとまずいな」と感じたのはあの「もやもや感」が襲ってきたからだ。「あの」っていっても他の人が感じているかは知らんけど、「生きることについて」とか「自分とは」みたいな、つまりは中二的なあれだ。勢いで「襲ってきた」と書いてしまったけどそんな風に思っている訳ではなく、どっちかって言うと「戯れる」とかそんなんに近くて、酒を呑みながらそのときどきのもやもやをグダグダ考える〜、ってのはおれのなかなかに好きな時間でもある。


まあ、その「もやもや感」を感じたときにようやく、「忙しく働いていたときには全くもやもやしていなかった」ということに気が付いた。もやもやグダグダしている時間ってのは単純に楽しいってだけではなく、「おれがおれでいる(と思い込む)ため」に必要な時間なんだと思う。少なくともおれはそう思っていた。そう思っていたのに、ちょっと仕事が忙しかったからって、もやもやすることを忘れていた。挙げ句、「最近は充実しているなぁ」だって。もうね、アホかと。馬鹿かと。自分にがっかりですよ。


で、その後はめでたくここに書いた様なことについてもやもやグダグダ考えていたんだけど、ふと「多忙は怠惰の隠れみの」という言葉を思い出して、もやもやが「すとんっ」と収まった。そして、この「もやもや→すとんっ」に関しててきめんにもやもやしてきたんだけど、その事については、たぶん、そのうち書く。