「桐島、部活やめるってよ」観たってよ

観てから2週間近く経った今日、毎日通っている道にある駐車場の名前が「前田パーキング」だったことに気付いた。くらいに、毎日「桐島〜」について考えている。観た人なら同意していただけるだろうけど、「『桐島〜』について考える」ということは、すなわち「学生の頃の自分について考える」ということだ。そして、それは多かれ少なかれ「今の自分について考える」ことを意味する。

そんな訳で、いろいろとグダグダ考えていたんだけど何となく考えがまとまっってきたのでちょっとずつ吐き出していく。

「桐島〜」がここまでの熱狂を産み出している要因は、この映画がある意味「『自分』を投影することを強制している」からだと思う。これは単に「誰に感情移入したか」というだけではなく、至る所に仕掛けられている「あの感じ」を感じることによって、どうしようもなく「あの頃」を思い起こしてしまうからだ。そして、「あの頃」をどう過ごしたかによって、それぞれのシーンがもつ意味合いが変わってくるように作られている。事実、タマフルの「放課後ポッドキャスト」で宇多丸師匠、町山さん、コンバットRECはそれぞれ違う見解を示していた。これはもちろん「作品の不備」ではなく、「作品の余地」なんだと思う。「余地」だからこそ、俺みたいな奴でもこの3者に対して「それはちげーよ!」って言える訳だ。

ということで、以下のことについてたぶん、そのうち書く。

1,かすみは前田のことをどう思っていたのか?

2,吹奏楽部の子は、あのときもし宏樹が沙奈(宏樹の彼女)よりも先に来ていたらどうするつもりだったのか?

3,なぜ宏樹は桐島に電話を掛けたのか?そして、そのあと宏樹はどのように過ごすのか?