「早起きなんて起きるだけだ、誰にだってできる」という話。

早起きを再開した。
半年くらい前まで半年くらい続けていたのだけど、いつの間にかやめていた。どうしてやめたのかは覚えていないし、再開した理由も特にはない。ただ、漠然と「いつでも再開できる」と思っていたので、それを確かめる為に再開した、とも言えるかも知れない。

たかだか数ヶ月続けていただけのことなので習慣とは言えないかも知れないが、それでも数ヶ月続けていたことには意味がある。それは、「いつでも再開できる」と思えたことだ。おれはクソみたいな人間なので自分にできそうにないことは端から諦めているし、やってみようとも思わない。けど、「できるだろうな」と思えることならやってみるし、それはたぶん、できる。それができなかったとしたら、「できなかった」のではなくて「やらなかった」だけだ。どこかのブラック企業の社長が言いそうなことだけど、おれ自身に限るなら、この言葉はたぶん正しい。ただ、「やればできること」をやり続けることはなかなかに難しい。

なんで難しいのか?「おれがクズだから」だけではない。少し掘り下げよう。

「やればできることをやり続ける」ということは、「人生、するかしないかの別れ道で“する”方を選び続ける」ということだ。そんな真似は常人にはなかなかできるものではない。*1

じゃあ、どうするか?

おれみたいなクズは「するかしないかの別れ道」に立ったら「“しない”方」を選んでしまう。だったら、別れ道なんかに立たなきゃいい。
“する”か“しないか”の選択肢があるから迷うし、迷ったら大抵楽な方を選んでしまう。“する”という選択肢しか無ければイヤイヤながらも、“する”。
幸か不幸か、おれの会社には有給というシステムが無いので、おれみたいなクズでも二日酔いくらいだったら(だいたいは)会社に行く。「会社を休む」という選択肢がそもそも無いからだ。


話を戻そう。

早起きに関して言えば、目覚まし時計が鳴ったときに、「すぐに起きるか、もうちょっとだけ寝るか」という選択で「すぐに起きる」を選び続けるのは至難の業だ。おれにはできない。でも、「目覚まし時計が鳴ったら問答無用で起きる」という自分ルールを設定して、それに従うことならできる。「何も考えずに決められた作業を行うだけ」だ。*2
第一、「早起き」ってのはやっていることは寝坊したときと同じく「起きる」ってことだけなんだよね。早いか遅いかの違いだけで何も特別なことをやる訳じゃない、ってのに気付いてからは、もう楽勝。だって起きるだけなんだもん。

で、たぶんこういったことは他にもたくさんある。それを探し出して、改善していくのはなかなか楽しい。

*1:と言うか、そんなことができるのはロッキーか岡本太郎くらいのものだ。

*2:もしかしたら200万円も手に入るかもしれない。