「きっかけ」について書いてみた。
ブログを再開しよう、と決めてから3週間。当たり前のように何も進展が無いんですが、それを打開。今日から書き始めます。なんで今日から?それについて書いてみます。
きっかけは必要?
再開することは決めたけど、実際に書き出すきっかけがなかなか無い。でも、「きっかけ」ってなんでしょう?
きっ‐かけ【切っ掛け】
1 物事を始める手がかり。糸口。また、原因や動機。「事態打開の―をつかむ」「ふとした―で知り合う」
なるほど。人はなんとなく「物事を始める」には「手がかり」や「糸口」が必要なんだと思いがちです。少なくとも僕はそうでした。でも、本当に「きっかけ」が無いと「物事を始める」ことはできないのでしょうか?
もちろん、「きっかけ」がきっかけで物事を始めることもあると思います。「1978年4月1日の午後一時半前後にデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い外野手だ)が打った二塁打を見て『そうだ、小説を書いてみよう』」と思った小説家*1もいれば、
「偶然立ち寄った喫茶店で現在の夫人と出会ったことが、ホームレス生活から立ち直り競技に復帰するきっかけとなった」ボクサー*2もいます。もしかしたらゴミ箱から拾ってきたギターをきっかけにして歌い始めるシンガーもいるかも知れません。*3
つまり、「きっかけ」なんてのは世界に充ち満ちている。なら、無理矢理にでも探せばいいし、見つけたらしっかりと掴めばいい。掴んだら始めましょう。
でも、「掴む」と「始める」の間には大きく深い溝があり、多くの人はここで立ち止まってしまいます。そしてこんなふうに考えます。
「この溝を跳び越えるきっかけはないかな」
痛いほど分かります。現に、このブログがそうだった訳ですからね。でも、今はこうして書いています。では、僕がどうやってこの溝を跳び越えたかをお教えしましょう。
跳び越えちゃったんです。
大事なことなのでもう一度言います。
跳び越えちゃったんです。こんな溝なんて跳び越えちゃえばよかったんですよ。
とりあえず、やる
「見るまえに跳べ」なんていうかっこいい言葉*4もありますが、僕が好きなのは「とりあえず、やる」って言葉です。やろうか、やらまいか考えるのも面倒なんでとりあえず、やる。やる気があろうが、無かろうがそんなのとは関係無しにとりあえず、やる。「とりあえず、やる」っていう自分ルールを適用しちゃえばいいんです。